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サンフランシスコ・データ集
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基本情報:
人口:
776,733人
標高:
63フィート
カウンティ:
サンフランシスコ
面積:
46.7平方マイル
経度:
西経 122度45分
緯度:
北緯 37度75分
人種構成比:
白人 (43.6%)
中国人 (19.6%)
ヒスパニック (14.1%)
黒人 (7.8%)
その他 (6.5%)
フィリピン人 (5.2%)
2種類以上 (4.3%)
その他アジア (1.5%)
日本人 (1.5%)
ベトナム人 (1.4%)
インディアン (1.2%)
韓国人 (1.0%)
観光案内所
900 Market Street
San Francisco, CA 94103-2804
Phone: 415-391-2000
月曜-金曜 9 am - 5 pm
土曜、日曜 9 am - 3 pm
観光事務所:
San Francisco Convention & Visitors Bureau
201 Third Street, Suite 900
San Francisco, CA 94103-3185
Phone: 415-974-6900
月曜-金曜, 8:30 am - 5 pm
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サンフランシスコの気候
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Jan |
Feb |
Mar |
Apr |
May |
Jun |
Jul |
Aug |
Sep |
Oct |
Nov |
Dec |
| 平均気温(華氏) |
52.3 |
55.0 |
55.9 |
57.3 |
58.4 |
60.5 |
61.3 |
62.4 |
63.7 |
62.5 |
57.5 |
52.7 |
| 平均気温(摂氏) |
11.3 |
12.8 |
13.3 |
14.1 |
14.7 |
15.8 |
16.3 |
16.9 |
17.6 |
16.9 |
14.2 |
11.5 |
| 最高気温 |
58.1 |
61.4 |
62.5 |
64.4 |
65.3 |
67.6 |
68.1 |
69.1 |
71.2 |
70.3 |
64.1 |
58.6 |
| 最低気温 |
46.4 |
48.5 |
49.2 |
50.1 |
51.4 |
53.2 |
54.4 |
55.6 |
56.1 |
54.6 |
50.8 |
46.7 |
| 降水量(インチ) |
4.7 |
4.1 |
3.4 |
1.2 |
0.5 |
0.1 |
0.0 |
0.1 |
0.3 |
1.2 |
3.3 |
3.2 |
経済
多くのカリフォルニア州の銀行や保険会社はサンフランシスコのフィナンシャル・ディストリクトに本社を構えています。そしてこのフィナンシャル・ディストリクトはまさにニューヨークのウォール街をもじった西海岸版のウォール街といった意味を持ちます。またサンフランシスコは太平洋沿いの資本フローの境界に位置しているともみえます。なぜならばシアトル、ロサンゼルスと並びアジアからアメリカに流入してくる資本の導入路とみなされているからです。サンフランシスコは電子機器、自動車部品、繊維や家具など、中国や日本などのアジア各国との輸出入取り扱い量の増大とともにその役割を大きくしてきたのです。100万に満たない規模の都市でありながら、その経済に果たす役割は限りなく大きく、シアトルやロスなどを押しのけて貿易や経済流通の中心といっても過言ではないでしょう。
気候
サンフランシスコは三方を海に囲まれているという立地から海からの、いわゆる海洋学的気候とでもいうべき気候サイクルからの恩恵を多く受けています。春にはカリフォルニア海流によって海岸沿いの海水には豊富なプランクトンに満たされます。もちろんプランクトンの恵は自然にプラスに作用するのです。同時にあの有名な霧もこの時期より発生し7月までの間サンフランシスコの気温を低めにするのです。その動きはまるで海洋エコシステムがデモをしているかのようです。この地中海性気候によって8月のような暖かい月がずっと続くのです。
魚と漁夫
サンフランシスコ湾は北米大陸の西海岸において最も重要な湾だといえるでしょう。ここはサクラメント川を経てシエラネバダ山脈西側から大地の水が流れ込みます。その流れは2筋ありセントラルバレー経由で北へ、そしてサンヨーキン川から南へ流れます。この2つの川は一つにまとまって巨大なデルタ地帯となり、湾の方へ流れこむのです。そして太平洋からの海流と混ざり栄養分に富んだ海水を作り出し魚たちにとってのエコ・システムを大いにサポートしているのです。
サンフランシスコとカリフォルニア州平均との比較
・不動産の資産価値は州平均以上
・外国生まれの人口は州平均よりかなり高い
・家賃は州平均より高い
・一軒あたりの部屋数は州平均よりかなり低い
・住宅の築年数は州平均より高い
・人口における独身者の比率は州平均より高い
・サンフランシスコの人口密度は州の都市平均より高い
サンフランシスコ湾
1. ポイントレイズ
2. ボリナス
3. スティンソンビーチ
4. ミュアビーチ
5. セイサリトー
6. ティブロン
7. サン・ラファエル
8. ナパ・バレイ
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9. サン・パブロ湾
10. リッチモンド
11. バークレイ
12. オークランド
13. ダリー・シティ
14. サン・ブルーノ
15. パロ・アルト
16. サンフランシスコ
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インスタント・シティ
サンフランシスコは、あまりも急速な発展を遂げたため「即席都市」というニックネームがつけられています。カリフォルニアで金が発見されたというニュースによって僅か3ヶ月の間に数百人が住むだけの村を数千人の「市」に変えたのです。都市は現在ではアメリカの都市の標準とも言える格子状に未開拓の巨大な区域へと広がっていきました。たしかにこの格子状の仕組みは区割りや商業区域設立や市民の登録を容易にするものではありましたが、他方地形というものを考慮していません。格子はそれゆえ、丘状の地形の上にも区画され、システマチックに境界線が引かれていったため急勾配の道路なども作り出してしまったのです。そしてそれが、今ではサンフランシスコの一つの魅力にもなっているのです。

VERDANT HEIGHTS
丘の上の、時に信じられない位の急勾配のスロープは、元々貧民たちに割り当てられてきました。こうした土地は値段がさほど高くなかったため、いくつかの公園(ラファイエット・パーク、アラモ・スクエアやパイオニア・パーク)が丘の上に作られました。そして丘の上というロケーションがケーブルカーによって便利になると、こうした緑が多く広々としたエリアが次第に富裕層たちの場所となっていったのです。
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ABANDONED SHIPS
1849年にはゴールドラッシュによってクルーたちに乗り捨てられてしまった多くの船がイェブラ・ブエナの入り江付近に停留していました。当時急速に都市として人口が増加していき、設備建設が追いつかない状況の中、こうした乗り捨てられた船を改造し、レストランやホテルとして使われました。
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グリッド・システム
マーケットストリートから北のブロックは正確な区画に分けられていて、26x98フィートの区画になっています。この正確さは地形の凹凸を無視しているため、丘状の土地であっても同様に区画されています。その結果階段がないと登れないような急勾配の道ができてしまいました。
アメリカ各都市のチェックボードレイアウト
サンフランシスコの最初の都市計画は1839年頃、メキシコ人の権力者たちによって依頼されてスイス人のジーン・ヤッケス・ビオゲットによって設計され、イェブラ・ブエナにあったインディアン居住地だった場所の広場の周りわずか数ブロックから形成されていました。1847年にはビオゲットが設計した区画をジャスパー・P・ファレルが拡張しました。スペイン方式の計量方法に則り、ファレルのプランはマーケーットストリートを作り、50の居住区域をマーケットストリートの北側に、そして南にはもう少し大きな区画を作り、こちらには工場その他が利用できるようにと計画したのです。こうした、やや柔軟性にかける直角に交わる、つまり格子状の区画整備はアメリカ各都市に典型的にみられるものなのです。
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がれきの上の都市
多くの家々が建設されてきたヤーバ・ブエナ周辺は次第に丘の方からの瓦礫に覆いつくされました。家々はこの埋立地に建てられ、浅瀬に乗り上げたボートは次第にそうした家々に囲まれていきました。このことは、今のダウンタウンがいかの大部分がこうした埋め立てによって作られてきたかを物語っているのです。


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大陸横断鉄道
ゴールドラッシュによって、カリフォルニアへのアクセスを便利にするために大陸横断鉄道の必要性が高まりました。高速船が次々と到着時間の記録を破ってきたとはいえ、ホーン岬経由というのはあまりにも遠く危険を伴うものでした。1862年に議会は若きエンジニアのセオドア・ジューダーの作成したドラフトを批准しました。そしてその案に基づき2つの鉄道会社がこの建設に名乗りをあげました。議会によって管理されていたユニオン・パシフィック鉄道会社はオマハからの東→西セクションを担当し、いわゆる"ビッグ4"によって設立されたセントラル・パシフィック鉄道はオークランドを発する西→東セクションを担当しました。建設には6年の歳月を要し、多くの建設作業員の犠牲を伴いました。そうした苦労を経て1869年にはアメリカの東西海岸どおしを鉄道で6日半で結ぶことができたのです。
鉄道人工:貴重な働き手
鉄道建設のために低賃金な人工を安定的に供給することは大変困難だったため、セントラル・パシフィック鉄道のディレクターだったチャールズ・クロッカーはチャイナタウンの秘密組織と契約を結び、中国から労働者を「輸入」することで、貴重な労働者を確保したのです。
ビッグ4:鉄道男爵
大陸横断鉄道は、シエラネバダ山脈そしてロッキー山脈を越えなければならないという神業的な事業だったがジューダーはプロジェクトが実現可能であると確信していた。サクラメントの4人の実業家、コリス・P・ハンティングトン、マーク・ホプキンス、レランド・スタンフォードとチャールス・クロッカーは"ビッグ4"と称されセントラル・パシフィク鉄道へ出資する会社を作った。かれらは、議会と当時のリンカーン大統領にパシフィック鉄道法にサインをさせるために手をつくし、その結果もう一つの鉄道会社(ユニオン・パシフィック鉄道)を設立させ、いよいよ建設は1863年の1月8日に開始されたのである。
クロッカーのペット
これは、クロッカーによって鉄道建設に動員された1万5000人もの中国人たちを称した言葉です。彼等にはたとえ白人なみの賃金が支払われていたとはいえ、白人たちと違い現場での食事は自分達で用意しなければなりませんでした。そこで彼等は12人〜20人で1つのチームを作り、コックやお茶を用意する係り、そして万が一の怪我などに備えた予備の人工を自分たちのチームで抱えていました。
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セオドア・ジューダー
サクラメントとシエラ・ネバダ山脈に発見された金鉱との間の28マイルを鉄道で接続させた東部に住んでいたエンジニアの彼は本当の意味での大陸横断鉄道の生みの親と言えるでしょう。しかしながら彼は急速にこのプロジェクトのリーダーシップを失ってしまいました。それはいわゆる"ビッグ4"たちによる言わば裏切りによるものでした。ジュダーは一旦会社を売却し東海岸に戻って資金調達をして再度会社を買収しようと試みました。しかしながら運命は彼を味方せず、1865年のパナマ旅行中にかかった黄熱によって死去したのでした。
大平洋鉄道法はユニオン・パシフィックとセントラル・パシフィックの2大鉄道会社の所有するエリアや獲得する助成金を路線長に応じて取り決めた。ビッグ4は支出を抑えるために鉄道建築にかかる予算のきちんとしたコントロールを要求した。政府の基金はクロッカー・カンパニー支払われたが、その予算はかなり無理をして最新機材など投入しない最低限の設備を使うなどコストを最小限に抑えたものとし、余剰金を得るようにしたのである。更に助成金が入るように、クロッカーは強欲で本当は平地なところを山地であるがのごとく橋建設の専門家や地質学者をも巻き込んで嘘の申請をしたのである。
プロモントリ・ポイント
2つの鉄道は西から建設が進んでいき1869年の5月10日にユタ州にあるプロモントリ・ポイントで出会いました。セントラル・パシフィック鉄道は683.5マイル、そしてユニオン・パシフィック鉄道はそこまで1081マイルの鉄道を敷設してきました。大陸横断鉄道の建設費は11.8億ドルかかり、ビッグ4たちに多くの富みをもたらした。その一方で非常に多くの中国人労働者が建設の犠牲になったのである。
2つのライバル会社
2つの鉄道会社の建設の進捗は、その地形の違いによりユニオン・パシフィック鉄道の方が進んでいた。シエラ・ネバダ山脈の頂上付近のトンネルを掘るための地下通路や傾斜路を作るのに1年を要した。そして1866年の寒波はすべてを滞らせてしまったのだ。1867年末にはユニオン・パシフィック鉄道は既に311マイルを敷設したが、他方セントラル・パシフィック鉄道はわずか87マイルしか敷設できなかった。そこでクロッカーは生産性をあげるように手を尽くし、1868年には1日3/4マイル平均ものハイペースで217マイルを敷設したのである。
1869年4月29日にはこの2つの鉄道会社は1日になんと7マイルもの敷設を試みた。セントラル・パシフィック鉄道は800人もの人工を投入しこの記録に挑んだ。この中国人の労働者による成果をみたハンティングトンは労働に関しての法改正を申し出て、こうした12時間労働は2つの鉄道が出会うまで続けられたという。こうした建設競争により、両者の関係は鉄道連合というより協力なライバル関係となっていき、競い合うように建設を急いだのである。
最後の釘
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プロモントリ・ポイントにとうとう路線が伸びた時歓声の声があがった。レールは犬釘によってまくら木に固定されるが、最後の犬釘には路線が通る各州(カリフォルニア、ネバダ、そしてアリゾナ州)によって贈呈された高価な貴金属が使われたのである。
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